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2012年01月23日(月)更新
【編集部・田中ガクの取材日記vol.04】森秀織物 長谷川博紀社長
【編集部・田中ガクの取材日記vol.04】森秀織物 長谷川博紀社長(12.01.23)
経営者会報ブログ編集部、そして月刊『ニュートップリーダー』編集部の田中ガクです。
先日、月刊『ニュートップリーダー』2月号掲載予定の「経営者会報ブロガー レポート」
の取材で、群馬県桐生市に本社を置く森秀織物の長谷川博紀社長に、先の東日本大震災で
大きな被害を被った同社の状況や復旧までの道のりについて、お話をうかがって参りまし
た。
徳川十一代将軍家斉(いえなり)が気に入り、日常的に身につける着物としたことからそ
の名がついた、桐生伝統の織物「御召(おめし)」をつくる技術を有する森秀織物は、国
の登録有形文化財の指定を受ける明治期に建築された、ノコギリ型の屋根をもつ工場建物
を、織物の生産工程などが体験できる織物参考館“紫”(ゆかり)として運営しています。
同社の復興までの道のりについては、2月1日発行予定の『ニュートップリーダー』2月
号をご覧いただければ、幸いです。同社の建物に被害を被ったにもかかわらず、震災発生
直後の3月中に被災した石巻市の支援に訪れたことで、同社を復旧させる強い思いを抱き、
7月1日には織物参考館の運営を再開されるまでのことを中心に紹介しています。
織物参考館“紫”として運営している、ノコギリ型の屋根をもつ、かつての工場建物
長谷川社長です。
森秀織物ホームページ >>>
長谷川社長のブログ >>>
桐生市は震源地から距離があり、国から被災地としての指定を受けていないものの、JR
桐生駅は一時、倒壊の危険性があったなど、各所の建物が被害を受けた都市の一つですが、
古くから絹織物の産地として栄えていた町です。
奈良時代には、東大寺の大仏の開眼式に使用される織物を納めたり、時の朝廷にも織物を
献上していたと文献に残っているといいます。
戦国時代から徳川家の領地となり、市内にある桐生天満宮では、関ヶ原の合戦に向け、最
初の出陣式が行なわれたところといわれているそうです。
江戸時代には天領となり、年貢として米ではなく絹を納めていたこともあり、さらに絹織
物産業が発展していきました。江戸から明治、大正時代には、東日本で生産される絹織物
がいったん桐生に集められてから全国へと出荷されるようになるなど、織物の一大集積地
として栄えていきます。
市内には、数多くの絹織物問屋が軒を連ね、ふんだんな資金をもっていたことから、明治
期以降、町づくりなどにかんして、行政よりも民間のほうが力をもつケースが多々あった
そうです。実際、明治初期には、国家予算の倍ほどのキャッシュが桐生市内で動いていた
といわれているほどで、絹織物を取扱いたい外国人も多く訪れ、市内には東京よりも早く
アスファルトの道が整備され、多くの車が行き交っていたといいます。
戦後、絹織物の需要が激減していくのに歩を合わせるように、桐生市内の絹織物問屋も減
っていき、長谷川社長は「いまは稼げる産業がなく苦しんでいるのが実情です」とおっし
ゃっていましたが、戦中、空襲をまぬがれた市内には、レンガ造りの建物などが残ってい
るところもあり、落ち着いた雰囲気のある町並みです。昨年8月末、テレビ東京系「アド
街ック天国」に取り上げられると多くの観光客が訪れたといいます。
番組で取り上げられた名所はこちら >>>
駅前の商店街には若者が開いたと思われるような店舗もいくつかあり、いわゆるシャッタ
ー商店街にはなっておらず、活気を感じることができました。今回はあまり時間がなく、
市内をゆっくりと回ることができませんでしたので、また訪ねてみたいと思っています。
長谷川社長、ありがとうございました!
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